「私たちにとって最高の喜びとはあなたが元気な笑顔で帰られることです。」
「体験談」

- 相変わらず厳しい暑さが続いていますが古賀先生をはじめ、スタッフの皆様お変わりありませんか。
古賀先生のクリニックでお世話になった○○です。
今、妊娠8ヶ月目に入り赤ちゃん二人共に順調にお腹の中で育ってくれています。
今まで経験した事のない元気な胎動など、日々大きくなって行くお腹など見ると毎日、本当に愛しく、赤ちゃんに会えるのが待ち遠しい気持ちでいっぱいです。
私もお盆休み前の12日までこれといった体のトラブルもなく無事産休に入るまで仕事をする事ができました。
治療中から先生のコラムを読ませて頂きいっぱい元気をもらいました。私もドリカムのファンで8月6日に福岡ドームであったコンサートにも無事行く事ができました。丁度治療中に福岡まで行く車内の中で、「ねぇ」と「その先へ」を何度もリピートし、自分を曲で励まし、励まされながら通った事など思い出し生歌を聞いた時には思わず涙が溢れました。歌であそこまで多くの人達に感動や勇気を与えられるドリカムは本当に凄いなぁ…と只々最後まで感動の連続でした…。出産したら暫くは行くことが出来ないので最高の思い出になりました。
今、改めて仕事が休みに入り、妊娠し、無事にここまで迎えられた経緯を思い返すと先生には本当に感謝、感謝!の気持ちでいっぱいです…。
他の病院で5回採卵して4、5回目には良い卵が出来ず、もう妊娠するのは難しいと言われ精神的に追い詰められボロボロ状態でした。そんな状態を見兼ねてか、地元の先生から古賀先生を紹介して頂きました。
クリニックに初めて伺った時の印象は、中に入った瞬間ホテルみたいな空間で、凄くプライバシーに配慮されていて、クリニックに来ているかんじがせず待合室でリラックスさえしてたように思います。そして先生にお逢いして今までの経緯などをお話し、これからの治療方針など本当に解りやすく丁寧に話して下さいました。私が今まで考えていた治療(持病の内膜症の治療をする事)を選択肢の一つとして考えてくれ、その治療をしていた3ヶ月は今まで、出来なかった習いものや趣味に没頭する事も出来ました。結婚してから五年間子どもの事ばかり考えていた私に精神面で休息を与えてくれ、あの期間も今思い返せば良い方向に繋がったのではないかなぁと思います。主人も古賀先生に出逢えて赤ちゃんを授けてもらって本当に感謝しています。
ありがとうございました。本当は直接会ってお礼を言わなければ行けない中、メールでの送信になりすみません。又、出産した時には改めて報告させて頂きます。

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暑中お見舞い申し上げます。
そちらでお世話になった○○です。
先月無事に女の子を出産しました。超安産でした!
古賀先生には本当にお世話になり、感謝しきれません。
なかなか授からず不妊治療を始めて4年間、婦人科を転々とし、古賀文敏ウイメンズクリニックと出会うことができました。主人の反対がありながら、他の婦人科でやっと体外受精に何度かふみきったのですが、妊娠に至らず、年齢(40歳)と経済的にも、また、仕事をしながら不妊治療をするストレスもあり、もう諦めなければ‥と思っていたところ、最後にがんばる!つもりで古賀文敏ウイメンズクリニックにお世話になりました。
古賀先生は私の心までケアしてくれました。「不妊治療をして赤ちゃんができる人はできない人の2倍の幸せなわけではない」という言葉は、とても印象的でした。その言葉で不妊治療で盲目になっていた私はリラックスできたと思います。言われたその時は「やっぱ、そんなことない、100倍幸せなはずだ」と思っていましたが、今ではその意味がわかります。また、悪い数値も確率もきちんと楽観的なことはおっしゃらず、きちんと説明してくださり、その対処方法や薬の内容などもわかりやすく教えていただいたことは、ショックもありましたが、自分の状態もわかり、安心感がありました。
仕事を抜けながらの毎日の通院、注射も、今まで通った婦人科では、セカセカとした待合室、画一的な診察と言葉などで、とてもストレスがあったのですが、古賀文敏ウイメンズクリニックは受付の方の笑顔、看護師さんたちの元気づけてくれるやさしさ、古賀先生の私個人に対しての診察、そして雑談にとても癒されました。リラックスできたこともいい結果につながったのだと思います。採卵する卵の見極めや(生意気ですみません。でも真剣に日曜日まで診察してくださったのが本当に感動したんです。)緊張する採卵のときの手術室も音楽が流れていてリラックスできたのも感動しました。もちろん、ステキなお部屋にも。
古賀先生なら、数値が悪くても(私の場合、卵胞刺激ホルモンの値が高い)年齢がいってても、妊娠させてくれると絶対的な信頼感がわきました。
体外受精をして妊娠判定までの2週間は、過去の3回の体外受精の時とは違う、妊娠するのではないか?という感覚がありました。陽性だった時は本当にうれしく、その後心拍が見えたときは、信じられませんでした。クリニックを卒業のときは、もう通えなくなるんだと、とても寂しく感じました。
妊娠しながらの仕事での葛藤や今後の生活のこと、高齢出産で健康な赤ちゃんが生まれてきてくれるかの不安、まだ出産して2ヶ月ですが、体力勝負な育児と「2倍幸せではない」意味がわかりました。でも赤ちゃんは間違いなく幸せを運んできてくれました。孫をあきらめていた両親、体外受精に反対していた夫もデレデレです。
古賀先生、本当にありがとうございました。仕事柄、女性が多い職場なので、同じ悩みの方も多く、先生を紹介してます。
スタッフの皆様、ありがとうございました。皆様の笑顔に元気づけられました。
もうすぐ41歳になります。ダメもとで、もうひとり、がんばりたいと思っています。
来年また伺います。
本当にありがとうございました。感謝してもしきれません。
どうか、お体に気をつけて下さい。

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結婚してから何年もなかなか授かれない、多分不妊治療が必要だとは思っていました。経営をしている立場上、どうしても時間が取れない。いろいろな病院の情報を集めましたが、時間との兼ね合いがクリアーできず、治療を受けることさえ出来ない、と子供を持つことはあきらめ、考えないようにしていました。
そんな時、ある情報誌に「古賀文敏ウイメンズクリニック」の開院を知らせる記事が載ってるのを偶然目にしました。「この時間帯なら私でも通えるかも・・・」「やっぱり子供を生みたい」そうして私の不妊治療は始まりました。
検査の結果、卵管閉塞、および年齢からIVF(体外受精)を進められました。仕事のスタッフに「IVFを3回まで挑戦させてほしい。」と了解をとり、クリニックの最後の予約時間に間に合うように早退して通いました。一回目、二回目のIVFでは着床するも2回流産を経験。三回目は私が仕事の休みの日に採卵することにこだわったので、タイミングを逃してしまい、今回泣きの四回目のIVFで妊娠継続、現在11週で先日クリニックの卒業を迎えました。
初めてお腹の中で動いているわが子をエコーで見たときはうれしさと感動とを感じ、涙が止まりませんでした。
もし、あの時古賀先生に出会わなければ、妊娠も私には関係ないものだったと思うと運命を感じずにはいられません。来年41歳で出産予定です。
仕事を続けての治療は大変ですが、古賀文敏ウイメンズクリニックなら可能だと思います。職場の理解も必要です。この時代だから望める治療はいろいろあると思います。
私は古賀先生に出会え、「妊娠」することが出来たこと、いままでと違う人生を歩めることを心から感謝しています。
最後に、先生、ものすごくわがままな患者でしたが、いつも優しく対応していただき、そして励ましていただき、本当にありがとうございました。

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不妊治療という長いトンネルに入ったかのような7年間。はじめ、「子供は結婚をすれば自然に授かるものだ」と過信していました。私はこれまでの人生において、これといった大病をしたこともなく健康に育ってきたので、なおさらそこのような気持ちがあったのだと思います。私の不育症は、妊娠から8週目の心拍停止に始まり、妊娠初期での心拍なし流産も2・3度経験し、妊娠が簡単なことではない現状を目の当たりにすることとなりました。その後、様々な検査・リンパ球移植や漢方薬などの治療を続けたものの再び流産を繰り返してしまうという最悪な結果を繰り返してしまい、私は精神的・肉体的に疲れ、子供の生めない自分を責めたりしていました。
今から一年前に旦那の転勤で福岡に来ました。住みなれない土地で不安ながらも生活を送っていた頃、旦那が「新しく開業した不妊治療の病院があるからいってみよう」と誘ってくれました。ホームページを拝見し、私と同じ状況の方が妊娠された時の体験談を読ませていただき、治療に対する前向きな気持ちにもなれ、二人で病院にお伺いすることに決めました。
古賀先生に初めてお会いした時、今までの経過をとても優しくきちんと聞いて下さり、「これまでに出会った先生方とは何かが違う」という印象を受けました。旦那も同じ印象を抱いたようで「この病院に、古賀先生にかけてみよう」「年齢のこともあるので、この病院を治療最後の病院にしよう」という気持で治療に臨むことにしました。
まず人工授精に挑戦し、妊娠することに成功しました。しかし、胎児の心拍が聞こえてくることはなく、またもや「不育症」という暗いトンネルの中に気持ちを閉じ込めてしまいました。でも当時、仕事をしていたので気持ちの切り替えもでき、長くトンネルの中に閉じ籠らずに済みましたが、しばらくは治療をお休みすることを決意しました。
半年以上経ってから病院に行くと、勝手に治療を休んでいたにもかかわらず、先生は私のことを覚えていて下さり、「待っていたよ」と迎えていただいた時は、とてもうれしい気持ちになりました。
今度は体外受精に挑戦することになりました。注射の際は看護師さんに「立派な卵ができますように」と、いつも優しく対応していただきました。ある日、看護師さんが「この前は右に注射を打ったから今日は左ね」とおっしゃったので、私は「カルテに書いてあるのですか?」とお尋ねしました。すると、看護師さんはカルテに書かれてなくても、どの患者さんがどちらの腕に注射を打ったかということまできちんと覚えている、ということを知りました。数多く患者さんがいらっしゃる中、自分のことを良く知っていていただけるということに気づき、とても嬉しかったです。
「今回もしも妊娠できなかったら・・・」という不安な気持ちと格闘し、移植の日を迎えました。移植日はなんと2008年8月8日の北京オリンピック開催の日!先生も「記念になるね」とおっしゃって下さり、妊娠への期待が高まりました。移植後は「良い方向へことが動きますように」と毎日願うばかりでした。 2週間後の判定の当日、「今日は『仏滅』!なんか嫌だな〜」と思った矢先、病院へ行く途中に接触事故を起こしてしまい、遅れて病院に行くことになってしまいました。とてもブルーな気持ちで臨んだ診察でしたが、検査の結果はなんと!「陽性」。くっきり映ったピンク色の線を見てとてもうれしくて泣いてしまいました。しかし、私には「心拍を確認できるまで…」という戦いが残っていたので、心の底からは喜ぶことができず、少しの間不安な日々を過ごすこととなりました。 7週目に無事心拍確認でき、二つの命を授かっていることを知りました。その夜は旦那と二人、エコー写真を見ながら泣きました。無事に母子手帳もいただき、11週目での卒業となりました。ここまで来れたことはまるで夢のようでした。「不育症」という長いトンネルの中で私たち夫婦は「命の尊さ」を知り、「家族が増える」という夢も叶い、今はこの小さい命を大切にしていきたい気持ちでいっぱいです。まだ妊娠初期の不安定な時期なので不安もありますが、先生に授けていただいたおなかの子供を信じていきたいと思います。
先生はじめ看護師さん、スタッフの方々には本当にお世話になりました。私はこの病院だから授かれました。本当にありがとうございました。

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卒業というと、すごく淋しく本当は最後のゴールである出産まで面倒みてもらいたいのですが、そういう訳にはいきませんね。古賀先生との出会いは、紹介状を持って久留米大学病院に行った時からでした。もう5年位前になります。始めて先生にお会いした時のこともよく覚えています。1日何人もの患者さんを診察するのでしょうが、初診の私に一生懸命親身になって話を聞いて下さいました。症状の事は悩んでいましたが、希望を持ち、必ず治して下さる先生に出会えた!!と心から思いました。
しかし、あの頃の私は、毎日無我夢中に自分の好きなように生活する日々を送っていました。人工中絶するのも躊躇せず(ゴメンナサイ!)行っていたように思います。(本当にスミマセン)が、神様はしっかり私に罰を下しました。悩まなくてはいけない日々を迎えてしまいました。その時からです!!やっと自分の身体に向き合ったり、どうにかしなくては!とムチをいれたりしたのは!!人間としての甘さ愚かさに遅くながら気付きました。
先生、覚えていますか!通院中、原因を治しに久医大に通っていたのにも関わらず、普通に生理が復活した後、妊娠判定がでて、私がその時も「堕ろします!!」と言った時の事を。先生は厳しくおっしゃいました。「僕には出来ない。毎日何人もの必死に子供を欲しがる方々のお手伝いをしてるのに、そんなことは出来ない!」と。が、私はしつこくどうしてもその場を離れず・・・。先生のおっしゃっている事は勿論当然の事なのですが・・・。そして、午後の診察、再び先生の元へ出向きました。その時の先生の一言は「じゃあ次、・・・さんが子供をつくる時のお手伝いなら僕がしよう」と。少しホ〜ッと。そして数日後、他の病院で処置(中絶)は済ませましたが、案の定、先生の予想通り!生理が来ないどころか癒着が拡大してしまい、またまた先生〜!!と嘆き、頼って大学病院→現在の古賀文敏ウイメンズクリニックに!!勝手な理由で自分の体、子供を犠牲にし、都合よく生きてた自分。許す事ができません。それからは寝ても覚めても反省と後悔の毎日。でもそんな時でも先生は、相変わらず医者の神様。悔やんでる私に、いつも前向きに「過去を振り返っててもしようがない。今できる事からやっていこう!!」と。先生の一言は、常に本気で向き合って下さる励みの薬となり、いつも勇気づけられました。又ある時は、意外と大胆な事をするわりには小心者の私。そんな私なんで、余計な事を考えるのも人一倍。だから先生の何気ない言葉に何度救われた事か。先生の一言は魔法の薬!!
1人1人の患者さんの事を思い、それぞれに合った治療法を考えて下さる信頼できる先生。そんな先生に出会えたのは初めてだったし、これからも古賀先生の右に出る方は現れないと思います。
そして、いよいよ胚盤胞移植に向けてスタート!!鼻のスプレー、スプレキュア開始。毎日の注射通い。卵採り。その時もたくさんの手をかけさせました。毎日涙、涙の日々。そんな時主人が言います。「古賀先生を信じたら大丈夫!」「だから、自分達も頑張ろう!!」と。「そして子供ができたら、2人で喜び涙しよう!!!」と。だけど、受精した写真を見ても涙。胚盤胞移植時、なかなか入りにくいお腹に向かう先生の真剣さに涙。看護師さんの励ましの言葉に涙。目指すは赤ちゃんが欲しいという事なのですが、その頃は、今回のが失敗しても又、次にチャレンジしようという気持でいようと言い聞かせてたので、1つ1つの過程や成功に感動し、やはり涙。涙。先生には、ただただ感謝の気持ちでした。 術後も「先生有難うございました」と思うだけで、涙が止まりませんでした。(先生、以前も言いましたが、誤解しないで下さいね。赤ちゃんを授かる可能性があるんですもの〜痛い!と思って泣いた事は1度もありませんから〜!)心の中は毎日祈りの日々。
11/7尿検査陽性??!ま・さ・か?主人とほっぺたをつまみ合い、涙!!!
11/11ふくろの確認。11/18心拍の確認。喜んでいいんですねー!思いが通じたー!そして無事今日を迎えています。先生!!有難うございました!!まだまだ試練はあると思いますが、赤ちゃんの為にも、今までお世話になった先生の為にも私達頑張ります。あとは、いつも主人と2人で限界を決めず、2人の思いがあれば必ず何だってできる!!と信じ、それを行動していきます。
先生、今私達は幸せです。そして先ずは多くを望まず、1人の子供を元気に産みたいです。でも、もし、もし・・・夢が叶ったら、その時は2人目をお願いしていいですか!で、月日が経ち、30年後・・・私の子供が赤ちゃんを欲しい時診察してくれますか!
最近命の尊さを通じ、色んなものに目を向かせ、関心を示しています。そしてこの気持ちは周りの皆にも伝えていくつもりです。先生のお力を待っている方はたくさんいらっしゃいます。その方々にも喜んでもらえるよう、卒業しても応援しております。
最後になりますが、毎回の深い愛情の込もったお言葉・ご指導、先生の技術力、一生忘れません。有難うございました。これからのご活躍をお祈り致しまして、感謝の言葉で終わらせて頂きます。

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数年前、子宮ガン検診にひっかかりレーザー治療をしたのち、当時担当の先生から「この先、子宮の状態がどのように変わっていくか保証のない事だから、子供を望んでいるなら早いうちに検討されたほうが・・・。」とアドバイスをいただき、結婚して2年、子供を授かっていなかった私は、卵管造影検査を受けることにしました。2度の検査の結果、左右両方の卵管とも入口のところでピシャリと道がふさがれており、完全なる卵管閉塞・・・精子と卵子が出逢えず、体外受精でしか妊娠の可能性がないことがわかりました。その事実を知ったとき私が思ったことは‥‥‥ドラマみたいに旦那さんに「赤ちゃんができたみたい♪」と、ある日突然打ち明ける・・・というシチュエーションは私の人生にはなく、旦那さんにもそういったサプライズは味わわせてあげられないんだなあ・・・というものでした。それと同時に、同じように様々な不妊原因を抱えている人たちを思うと、「自分が不妊症であり、この様な体であることは決して恥ずべき事ではなく、堂々とこれからの人生を真剣に考える時期がきたのだな。」とも思いました。主人に話すと、「体外受精をしても子供はほしい。」とのことだったので、私は不妊治療をお願いすることにしました。
そして大学病院で3人おられた不妊外来の先生の中で、私の治療を担当していただいたのが古賀先生でした。先生の説明はとても丁寧で、こちら側のココロの状態・想いをひとつひとつ把握しながら話を進めていってくださるのがよく解り、安心して質問や考えを伝えながら治療をスタートすることができました。1回目の体外受精は、採卵受精卵となった段階で卵の成長があまり思わしくなかったけれど、お腹の中に戻してもらい、2週間着床の結果を待ちました。答は残念ながら・・・でした。妊娠していなかった事実よりも、自分のお腹の中で、たとえ小さな小さな「卵」という存在でも、「命」を守りきれなかった事がその子に対し申し訳なく、可哀想でたまりませんでした。私にとってその受精卵は、2週間のあいだに、我が子として大きく膨れあがった存在だったのです。このとき「体外受精にチャレンジしよう!」と決意した時の何倍も、「母親になりたい!!」という想いがこみ上げてきたことをはっきりと覚えています。必死にこらえようとする涙を止められずにいる私に、「今回の受精卵が着床に到らなかったのは、お母さんの子宮に問題があるのではなく、卵に何らかの染色体異常がおこったからでしょう。」と話してくださいました。 そして今回の結果が、決して絶望することではないことも、ゆっくりと私の心が落ち着くまで話してくださいました。次回またチャレンジすることを胸に、大学での先生の治療は終わり、2度目は「古賀ウイメンズクリニック」での治療再開となりました。2度目の治療も残念な結果に終わり、同じように我が子を亡くしたような気持ちになりましたが、不思議と目の前には光が差していて、「また次に望もう!」という気持ちをもてました。先生・助産婦さん・看護師さん・受付のスタッフの方々・・・病院を包むすべての雰囲気が、そういう思いにさせてくれたのだと思います。「温かく・優しい」この病院におとずれた人はたいてい持たれる印象なのではないかと思います。
2度目と3度目の治療の間に、病院で開かれたセミナーにも参加させていただき、「命の誕生」というものがどれほど奇跡的なことなのかを改めて教えていただきました。多くの受精卵は出産に到るまでに何らかの染色体異常をきたし、消えていってしまうこと。
染色体に異常を持ちながらも、この世に生まれてくることのできた赤ちゃんなどは、生命力が強く、神様に守られた宝物のような存在であることをしっかりと理解することができました。このような知識を持ったうえでその後の治療に望めたことは、私にとってとてもプラスだったと思います。3度目、前回の採卵時に凍結していた凍結卵を移植していただき、無事妊娠することができました。心からの幸せを感じました。
今私は幸いにも、自分の腕に元気な男の子を抱くことができています。妊娠中、知人がふたり流産しました。それも8ヶ月というかなりの後期になって・・・。思い出す度、身につまされる想いです。このホームページで、他の人のいろいろな体験を読ませていただいても胸にこみ上げるものがあります。
私は不妊治療をとおして、命を授かることも奇跡なら、無事に生まれてくるということも本当に凄いことで、そして自分達の歳まで元気に過ごせていること全てが、感謝に値することなのだと実感しました。
同じように赤ちゃんを授かることが難しく、いろいろな想いを抱いているどなたかに、私の体験でも何かの励みになれればな・・・と思い、メールさせていただきました。

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私は4年前,自然妊娠しました。
女性でありながら女性の体の事を分かってなかった私は、妊娠したらよっぽどの事がない限り出産出来ると思っていたので流産なんて簡単にあることではないと思っていました。
ところが、妊娠初期の時、出血し、しばらくたったある日当時かかっていた産婦人科の先生から「赤ちゃんの心拍が確認できない」と言われました。頭が真っ白になりました。この前まで動いていた心臓が止まってしまったなんて・・・信じられない気持ちでいっぱいでした。
結局掻爬手術をする事になり、その後生理がなかなかこず、あっても出血がだらだら続いたりして無排卵と分かりました。それから本格的に不妊治療をする事にしました。それでもタイミングさえ合えば妊娠出来ると思っていました。
ところが治療を始め、無排卵の他に原因も出てきて、なかなか妊娠できない焦りや、この前は簡単に妊娠出来たのに、今こんなに治療をしているのになぜ妊娠出来ないのか、ただ主人との子供がほしくて、家族になりたい、そんなささやかな願いなのに・・・
頭の中は、ただただ妊娠のことばかり考えていました。そして、前回の妊娠の時、もっとこうしてれば妊娠を継続出来たかもしれない、と後悔ばかりしていました。
不妊治療では本当に心も体もダメージがあり信頼できる先生に会えることが治療にも治療の結果にも大きく関わってくると思います。中には自分の中で状況を一人で納得している先生がいらっしゃいますが、私は、先生任せの治療ではなくちゃんと分かるように説明してほしいし、不安を解消出来るように質問しやすい雰囲気の先生を求めていました。
そんな時、たまたま古賀先生が私を見てくれる機会がありました。
古賀先生の説明や、やり方に、この先生は何か違う!説明を受けてもとても安心できるし、ちゃんと分かりやすく説明していただけるし、先生の人柄なのか当時妊娠出来ない焦りや不安の真っ只中にいた私に治療への希望を感じさせてくれました。不思議と心が落ち着き何だか頑張れそう、そう思えたし、こんな先生を求めていたんだ!って一瞬で思いました。
だから無理を承知で先生に今後治療をしてもらえるようお願いしました。
たまたま先生が出張でいないとき違う先生が担当し、注射のさじ加減があわず卵が出来すぎ卵巣が腫れてしまいました。歩くのも痛いし寝ていても痛いし何よりこれによって治療を数ヶ月休まないといけないのがとても辛かったです。でも先生が戻ってこられてからは適切に処置してくれ、その後の治療も卵巣が腫れやすい私に合った治療をしてくれました。その点でも先生は、的確に治療をしてくれると思います。
その後人工授精をしていきましたが、なかなか結果が出ず、体外受精にかけようと思っていた時古賀先生がクリニックを開業するので大学病院をやめることを聞かされました。もう体外受精にかけよう、そう思っていた時でしたから先生がやめると聞かされ、正直今後どうしようか全く分からなくなりました。
後から聞かされたのですが、その気持ちを先生は察していたそうです。
先生は開業で忙しいさなか、私の為に時間を作ってくれ体外受精をしてくれたのです。
卵巣が腫れないように的確に治療をしてくださり、その1回目の体外受精で見事に妊娠出来たのです。
不妊治療を始めて2年あまり、妊娠と聞かされ本当に本当に涙が出るくらい嬉しい結果につながりました。
かつてからうらやましく見ていた産科に、はれて通えるのはとても嬉しかったのですが、前に流産をしているので妊娠期間はとても不安で、病院にもう古賀先生はいないし、又いつ心拍停止と言われないかとても神経質になっていました。
でも今度は信頼できる古賀先生が治療してくだっさったんだから大丈夫!と言い聞かせると不思議と安心して妊娠生活をおくれました。
体外受精で授かり昨年無事に出産まで至り健康な我子を抱くことが出来ました。
今まで夫婦二人だった私達に赤ちゃんが出来家族になることが出来ました。
健康な人なら結婚したら妊娠出来あたりまえの事が、こんなに幸せな事だったんだって思えます。
あの時、先生に出会えなければ、私はまだ妊娠出来てなかったかもしれません。先生に出会えて信じて治療をしてきて本当に良かったと思います。本当にありがとうございました。

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私の初めての妊娠はまだ独身の頃。俗に言うできちゃった結婚で、何の苦労もなく妊娠し、妊娠すれば元気な我が子が抱けると思っていました。そして私は再生不良性貧血という血液の難病にかかっていて、私の妊娠、出産へのハードルはこの病気だけだと思っていました。
実際、妊娠6ヶ月までは多少の血液の数値の低下はあったものの、妊娠経過自体は順調でした。ところが6ヶ月の終わりに突然高熱がでて、夜、時間外で産科の病棟に駆け込みました。40℃近い熱で肺炎にかかっていました。その時、診て下さったのが古賀先生でした。私は高熱がでていることで赤ちゃんは大丈夫なのか心配していましたが「赤ちゃんは小さめだけど、元気だよ」という言葉に安心しました。それからそのまま入院し、先生が主治医となり血液内科と連絡をとりながら治療にあたって下さいましたが、熱の原因が判らず、血液の状態も悪化していたことから3日後、血液内科に転科することになりました。血液内科に転科してからは、先生が血液内科の病棟までわざわざエコーの機械を持ってきて診察してくれたり、産科で診てもらった時は、血液内科の病棟まで車椅子を押して送ってくれたこともありました。良い意味で大学病院の先生らしくなくびっくりしたのを覚えています。
事態が変わったのは血液内科に転科して5日後。下着が濡れているのに気付き、血液内科の看護師さんに急いで産科に連れて行ってもらいました。診察の結果、やはり破水で急遽産科にもどることになりました。その時点で、まだ妊娠6ヶ月の終わり。赤ちゃんがお腹の外の世界で生きるには厳しい時期でした。先生は私の赤ちゃんを助けて欲しいという希望を聞いてくれ、1日でも長くお腹にいられるように処置をしてくれました。それからはお腹の張り止めの点滴をして、毎食前お腹にモニターをつけて赤ちゃんの状態を確認しました。そして破水から3日目、妊娠7ヶ月に入った日の夕食前のモニターで先生の顔色が変わったのがわかりました。やはり赤ちゃんは危険な状態になっていました。その時の私の血液の数値も最悪で緊急帝王切開に踏み切ると出血が止まらない状態でした。輸血をしてもなぜか数値はあがりませんでした。そんな状態になっても赤ちゃんを諦められない私に先生は「このまま帝王切開をするとあなたは赤ちゃんに会えないまま死んでしまうと思う。赤ちゃんもかなり小さいから産まれて4、5日で亡くなってしまうと思う。あなたの気持ちも大事だけど、残される人達の気持ちも大事。」と目に涙を溜めて諦めることを説得されました。そして、先生の横にいた主人の顔をみて主人も同じ気持ちだとわかり諦めることを決めました。経膣分娩で赤ちゃんを取り出す事が決まり、張り止めの点滴が外され、子宮口が開きやすくなるように処置をして、赤ちゃんとの最後の夜を過ごしました。
次の日の朝9時から陣痛促進剤を使いすぐに陣痛が始まりました。そして午後4時48分、344gの男の子が産まれました。「赤ちゃんは残念ですが」と告げられましたが覚悟はしていたので泣くのは我慢できました。出産からしばらくして分娩室で休んでいたところに出張から戻ってこられた古賀先生が来てくれて隣で他愛もない話をしてくれました。変に励ますことも慰めることもなく普通に話をしてくれた事が逆に励まされたように思いました。その後主人と2人で赤ちゃんと会い、主人の「かわいいね」の言葉でそれまで我慢していた涙がどんどん出てきてしまいました。これが3人だけで過ごした最初で最後の時間でした。出産してからも古賀先生はマメに病室に顔を出してくれて明るく接してくれました。その後、産科を退院して血液内科に移ってからも病室に顔を出してくれました。
血液内科に移って1ヶ月位たった頃、熱の原因が結核だと判明し、今度は結核病棟に転科することになりました。幸いにも排菌していない結核だったので、病棟から産後1ヶ月検診にも行くことができました。その時も古賀先生が診てくれて「まさかパジャマでくるとは思わなかったよ〜」と冗談で笑わせてくれました。そして「結核と血液の治療が終わったらまたおいで。僕は毎日いるから」と言ってくれました。
それから1年後、結核の投薬治療が終わり、そのまた半年後には血液の投薬治療も終わり、やっと婦人科に通えるようになりました。古賀先生とは久しぶりに会ったのに、なぜかそんな感じはしませんでした。今思えば、一番つらい時を見守ってくれていた方だったからかもしれません。
婦人科に通い始めて血液検査をしました。先生は亡くなった赤ちゃんが小さかったのは血栓が出来ていたのかもしれない、と抗リン脂質抗体症候群を疑ってらっしゃったようでしたが、結果は陰性。たぶん抗リン脂質抗体症候群に似ている事が体の中で起こっているんじゃないか?ということで、サイレイトウという漢方薬を処方されました。
サイレイトウを飲み始めて4ヶ月目に妊娠しましたがこの妊娠は初期流産に終わってしまいました。この流産の時も検査の結果を電話してくれ、私がちょっとした変化で電話した時も優しく対応してもらいすごく心強かったです。
それから3ケ月体を休めて、またサイレイトウを飲み始め流産から半年後、再び妊娠しました。妊娠がわかってからはバファリンも飲み始めました。8週位までは毎週病院に通いました。6週の始めに心拍が確認できた時は「今回は9割うまくいくよ」ととても安心する言葉を言ってもらいました。そして婦人科を卒業して産科に通い始めました。ほんとはずっと古賀先生に診てもらいたかったのですが(笑)。
産科に通い始めてからも血液の数値の低下以外はずっと順調でした。そして8ヶ月の中頃に血液の状態が悪化してきた為、入院となりました。逆子だった為帝王切開が予定されていたのですが、産科と血液内科の意見が会わず延期になったり、輸血したのに血液の数値があがらず中止になったりと手術日が二転三転する中、時々不妊治療で病棟にみえる古賀先生に会って不安を聞いてもらうと不思議と心がスーッと楽になりました。
結局、36週6日という1日だけ早産となりましたが2,234gの小さいけど、元気な女の子を出産しました。出産後、古賀先生も病室に来てくれて「おめでとう」と言ってくれました。それは古賀先生の口から聞いた初めての「おめでとう」でした。誰の「おめでとう」よりも1番うれしかったです。ここまでいろいろあったけど、頑張ってこれたのは古賀先生と支えてくれた家族と空に帰っていった赤ちゃんのおかげだと思います。あの時の主治医が古賀先生じゃなかったら・・・流産を繰り返して子供を産むことをあきらめていたかもしれません。あの初めての妊娠で古賀先生に出会えてほんとに良かった。
長女を出産して1年3ヶ月。再び古賀先生のお世話になります。先生の心の込もったステキなクリニックで。

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私は、古賀文敏先生にお会いするまでに7回の流産を繰り返していました。原因は、わかりません。妊娠をしたら出産するということがあたり前だと思っていた私は、最初の子を流産したときにひどいショックを受けました。はじめての妊娠に夫婦で大喜びしたのもつかの間、まだ心拍が見えはじめてきたほんの初期で、急にお腹が痛くなり、その激痛と共に胎児は外に出てしまいました。小さな小さなほんとに小さな赤ちゃんは私の手のひらの上でまだあたたかく本当に悲しかった。しばらくは外にも出たくなく、外に出て妊婦さんを見ると腹が立ち、どうして自分がこんな悲しい目にあうのだろう、あのとき無理をしたのがいけなかったんだ。と自分をせめる日々でした。14年前のことです。
それから二度妊娠しましたが、胎児が大きくならず、心拍も消え流産を繰り返しました。三度も続いたということは何か原因があるのかもしれない。と大学病院を紹介され、様々な検査を受けました。中には痛い検査(卵管に油のようなものを通す検査)もありましたが、何かわかればという思いで、歯をくいしばってがまんしました。でも、検査にひっかかるような原因はみつからず、これは流産にきくかもしれない、似たような人が流産をくいとめられた、というような薬や治療を段階的に試すことになりました。夫の血清を注射したり、ステロイド剤を(プレドニンでしたでしょうか?)飲み続けて顔がパンパンにはれていたこともあります。サイレイトウなどの漢方薬や小児用のバファリンで、血栓を作らないようにしたりしました。7回目の妊娠のときは血液をサラサラに保つため、ヘパリンを点滴で24時間打つために、入院をしました。
しかし、いつものように7週か8週目に、心拍が見えなくなり、胎児の袋の大きさも大きくならず、残念ですが流産です。と言われてしまいました。主治医の先生からは、あとの治療としては、ガンマーグログリン投与という方法もあるが、この大学病院ではできないこと、治療には保険がきかず、100万単位でお金がかかることを知らされました。大阪の病院で治療ができるから、そこを紹介しよう。と言われました。
自分の中では認めたくなかったけど、私にはもう方法がないんだなぁと思いはじめました。せっかく妊娠しても、それを継続させる方法がないんだなぁと少しずつ思いはじめました。夫と二人だけの人生を送ることも考えはじめました。治療に行くのもしばらく休み、二人で旅行に行ったり、おいしいものを探して遠くまで食べに行ったり、オールナイトの映画をみたりして少し楽しみました。
二年くらい大学病院に行くのをお休みしていたけれど、やはり自分たちの子どもが欲しいという思いはあり、また大学病院に行くことにしました。今までの主治医の先生は退局され、新しい先生がおみえでした。それが古賀文敏先生です。新しい先生はどんな方だろうという不安もありましたが、お話しするうちに、そんな不安も消えてしまいました。誠実な方で、私たち夫婦にとてもわかりやすく丁寧にお話をしてくださいました。体外授精をお願いすることになり、たくさんの筋肉注射や鼻からのお薬がはじまりました。注射は毎日打たないといけないのですが、仕事を持っている私のために先生は、病棟にお願いしてくださり、夕方、仕事が終わって病棟の看護婦さんに打ってもらいました。古賀文敏先生のクリニックが、夜8時30分までとの案内を見て、そこにも先生のおやさしいお人柄が出ていると思いましたし、仕事を持つ者には、本当にありがたいことだと思います。
卵割もうまくいきそうで、お腹にもどしましたが、結局妊娠にはその時は結びつきませんでした。夫と二人で、本当にがっかりして、しばらく、また治療はあきらめて、旅行などをします。と言った私たちに、先生は、『チャンスがあるうちにもう一度やりましょう。』と言ってくださり、年齢が上がるにつれて、流産率はますます上がっていく現実も見せてくれました。『チャンスがあるうちにもう一度やりましょう。』という古賀先生のこの言葉がなかったら今の私たちの幸せもなかったと思います。おだやかな先生が、この言葉をおっしゃったときは、とても力強くおっしゃり、私も夫も、納得し、三ヶ月後に次の体外授精の準備をはじめました。
採卵して、受精させ、うまく卵割していますよ。とお電話をいただきました。お腹に卵を戻したときは全く痛みを感じませんでした。その日は大雪が降っていて、しかもおおみそかの日です。そんな日にでも、私たちのために病院に来てくださった古賀先生に感謝をしていると、先生は『今年最後の体外授精やね。』と笑って言ってくださいました。
お腹に戻して10日すぎたころに、少し出血しました。生理になってしまった、またうまく着床しなかったんだ。と大学病院に伺いました。しかし、判定はなんと妊娠成立です。かっがりして行っていた私に、本当にびっくりするような判定でうれしかったです。しかし同時に不安な気持ちもあります。今まで何度も何度も流産してきましたから。流産をすると、幸せの絶頂からまっさかさまに落とされたようなそんな気持ちになります。もちろん体も傷つきますが、心はズタズタでそこから回復するまでに本当に時間が必要です。だから、妊娠したらとてもうれしいのですが、同時にちゃんと胎児の袋は大きくなっていくだろうか、心拍はみえるだろうか、と考えてしまいます。手ばなしで喜ぶと、だめになったときのショックが大きいから少し心に予防線をはるようにしていました。それともう一つ、今まで、流産をくいとめるためにありとあらゆる治療をしてきたから、今回はどうなるのかな。と思っていました。前回の7回目の妊娠では、入院をすぐにして、ヘパリンの点滴をしましたから、古賀先生に、入院のことをおたずねすると、『入院はしなくていいよ。ヘパリンも打たなくていいと思う。普通の妊婦さんと変わらないよ。』この言葉が、どれだけうれしく、私の心をいやしてくれたかしれません。ホッとして、喜びが、こみ上げてきました。処方されたのは、漢方薬のサイレイトウと、バファリンだけ。おそらく点滴生活が明日からはじまると覚悟していましたので、とても心がほっかりなりました。
病院には毎週通わせてもらうようにしました。少しずつ大きくなる袋、その袋が二つ見えて、双子だとわかり、またうれしく、そして、心拍も見えました。今まで、胎児の姿をエコーで見る前に流産していたけれど、今回は、一人の子がねんねしていて、一人の子は、動いている様子も見え、とても感動しました。最初の関門の、いつも流産した7〜8週もクリアでき、とてもうれしかったです。先生から『そろそろ母子手帳ももらわんといかんね。双子だから2冊だね。』と言われ、まるで夢のようでした。毎回、エコーの写真をいただきました。それは、今、一冊のアルバムになって、大事な大事な私の宝物になっています。
10週くらいになり、古賀先生から『そろそろ婦人科も卒業やね。次からは産科で見てもらうようにしよう。』と言われました。大学病院では、婦人科と産科がとなり同志で、婦人科に通う私には、どれだけ産科に通う妊婦さんがうらやましかったかしれません。古賀先生からはなれて、新しい先生にみていただくことも、少しさみしくありましたが、喜びも大きかったです。胎児も順調に育っていきましたが、13週目、夜中に突然大出血をしました。血のかたまりのようなものが出てきて、ショックで気が動転している私を夫が病院に運んでくれました。その日の当直の先生は古賀先生でした。先生のお顔を見て、私は少し安心しました。出血は続いていましたが、胎児は無事だとわかり、即入院をすることになりました。数日後、出血の原因は、胎盤と卵膜のずれのすき間に血液がたまっていたことがわかり、破水ではないことで、少し安心しました。それでも、祈るような気持ちで、安静を心がけました。その後、出血もとまり、お腹も徐々にふくらみ、腹帯を婦長さんにまいてもらったり、今まで夢のようだった赤ちゃんの心拍をお腹の上のエコーできくこともできました。安定期に入り、症状も落ちついているから、退院をいろんな先生にすすめられました。古賀先生にそのことを夫と相談してみたら、『僕は、入院を続けていた方が、いいと思う。』と、他の先生と違うことをおっしゃいました。私たちは、迷わず、古賀先生がおっしゃったように入院を続けました。安定していたと思っていましたら、30週目くらいからお腹のはりがひんぱんになり、32週目で破水をしてしまい、緊急帝王切開で無事出産をしました。あのまま、退院をしていたら、無事に出産できただろうか。と思うと、古賀先生に、また助けられた思いです。『チャンスがあるうちにもう一度やりましょう。』という先生の言葉にはじまり、大出血のときに、偶然にも先生が当直で、双子の命を守ってくださったこと、そして、退院よりも、入院を続けることをすすめてくださったこと、私たち夫婦にとって本当に古賀先生は、大げさでなく神様以上の存在です。感謝の気持ちでいっぱいです。流産をくり返し、あきらめかけていた私たちに、子どもたちをさずけてくださいました。
小さな私たちの赤ちゃんたちは、しばらくNICUに入院していましたが、退院後もすくすくと大きく育ってくれています。『おかえりぃー』という言葉を覚えて、夫が帰宅すると、パタパタと二人で廊下をヨチヨチと走っていってかけよっていきます。
小さなくつ下をせんたくしたり、今までさけて通っていた子ども服売場では、かわいらしい洋服をみつけて、二人に着せています。
古賀先生に、『どうして今回は妊娠が継続したのでしょうか。』とおたずねしたことがありますが、先生にも、わからないし、今までなぜ流産をくり返したのかもわかりません。とおっしゃいました。でも一つたしかなのは、先生の誠実さと、もちろん先生のすばらしい医療の知識や技術と、そこに私たち夫婦が信頼を重ねていた、ということです。先生、どうぞ、これからも、お元気で。そして、私たちのような患者さんを、どうぞ助けてさし上げてください。そして、本当にありがとうございました。

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私は生理(排卵)がなかった為、結婚してすぐに病院に通いました。
不妊治療歴12年です。 AIH5回、IVF8回、ET8回。卵巣が腫れ、腹水が溜まり、2回の入院。卵巣に菌が入り、1回の入院。卵管水腫の手術も受けました。
卵巣の反応も悪い為、注射の量、本数を打っても効きが悪く、時間もかかりました。
又、卵の質もいつも良くありませんでした。その状態で古賀先生と出会い、先生から「時間はかかるかもしれませんが、自分にやらせて欲しい。あなたなら、絶対できる・・・」と言っていただき、既に時は経っていたけれど先生に色々話を聞いてもらい、まだ頑張ってみようと思ったので、私はずっと通っていた病院から変わりました。
先生に力があったのはもちろんですが、私はどれだけ先生の言葉に励まされ、どれだけ精神的に助けてもらったか、わかりません。
すると、治療を始めて、IVF2回、ET1回目にして、妊娠反応が出たのです。
この12年間、私たちには本当に永かったです。でも授かることができたから言えるのですが、頑張ってきて良かったと思います。そして私は何より先生に出会えたことが、とても良かったと思っています。
本当にありがとうございました。

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独身の頃から妊娠しにくいかもとは、思っていたものの結婚し3年4年と本当にできないと受診するしかないと思い、不妊治療を開始しました。
治療開始し検査などをしても特にお互い異常はないもののなかなか妊娠せず、不安が大きくなるばかりでした。
職場で同じ時期に不妊治療を開始した友達がいて、時間があれば、治療のこと、仕事と治療の両立のことばかり話していました。
私自身は高度治療をするなら仕事を辞めてからと思っていましたが、上司の理解もあり、働きながら治療をしてみることにしました。体外受精について自分なりに勉強したりしながら治療を受けてみましたが、もともと心配性なため不安ばかりが大きく、1回目で妊娠したものの流産し、なぜ自分だけこんな思いをするのだろう‥・など考えることもしばしばありました。治療をやめようと思う事も何回もありましたが古賀先生や友達の支えがあり続けることができ、4回目の体外受精で妊娠しました。
不妊治療をしている時は、子供はまだ?など頻回に言われることや、傷つく言葉を言われたこともあり、自分1人で抱え込み辛い事もありましたが、夫や古賀先生、友達と本当に私の気持ちをわかってくれる人がいたことで乗り越えられたと思っています。
妊娠した今でも不安は解消しませんが、今は治療をしたことで古賀先生や大切な友達に出会えたことをとても感謝しています。また、治療を受けていく中、夫婦で妊娠、子供のことをよく話ができ、夫婦の絆も深まったように感じています。
今回、妊娠したときに周囲の人が私以上に喜んでくれ、温かい言葉をたくさんかけてもらい、私は、人として、女として、嫁として、妻として、看護師としてたくさんの体験ができているなあと感じ、不妊治療したことも良い経験ができたと思い、これから母となっていくことを考えています。
不妊治療を受けている時には、治療のことを他の人に話せず不安なことがたくさんあり、精神的に支えてくれる人がほしいと思う事が多く、よき理解者、信頼できる主治医と出会えることがとても大切だと感じました。今治療を続けている方も色々な思いをしていると思いますが、母になることをあきらめず、自分を大切にして頑張っていただきたいと思っています。
「感謝のお手紙」

- 古賀先生お元気ですか?!相変わらず忙しい毎日を送ってる事と思います。
先日から、私の知り合いが2人先生のクリニックを受診して、2人とも今、妊娠しています。本当に喜んでいました。さすがですね!!そして2人とも、先生と会って話してみて、本当に優しくて、温かくて、安心したって、同じ事を言っていましたよ!!それと同じ事を思ったことを私も思い出しました。
子宮外妊娠を2度くり返して、3度の流産も体験して、"私は本当に赤ちゃんを産めるかな"って不安で不安でしかたなかった時、先生に会いました。優しく笑って、だいじょうぶだよって言ってくれたあの時の事は、一生忘れません。
2度の子宮外妊娠も流産も本当に苦しかったけど、今になると、より一層3人の子供たちが愛おしく、大切に感じられます。双子のお兄ちゃんたちも未だにまだまだ手がかかりますが、この前"ママ、○○ちゃんを産んでくれてありがとう"と言われました。びっくりでした。そして、"かわいい、かわいい"ってお世話してくれています。私が思っている以上にしっかり育っていてくれて感動でした。先生、私の事を母親にしてくれて、本当にありがとうございます。これからは、家族と3人の子供たちと一緒に成長していきたいと思います。
先生のお仕事は、本当に大変と思います。喜びも大きいと同時に、苦しさとかかなしさも同じように感じて、プレッシャーも計り知れません。精神的にも本当に大変ですよね。でも、先生がいないと困る人がたくさんいます。どうかお体を大切にすごして下さいね。
いつかまた、ゆっくり、こんどは子育ての事とかお話出来る日があるといいなぁと思ってます。私も先生のように、温かくて、安心感が与えられる様な、そんなお母さんになれるよう、1日1日大切にすごしていきたいと思います。
先生に会えて本当によかったです。"ありがとうございました"

- 古賀先生。
日増しに秋の深まりを感じる季節となりました。お変わりなくお元気でご活躍されておられる事と思います。益々、先生の診察を希望される方が増え、お忙しくなられてるようですね。
私達も、10月に治療を予定していましたが、主人と話し合った結果、このまま二人の生活を大切にしようという事になりました。先生には、何かとご心配ご迷惑をおかけしましたが、色々な事情を考えると、このままピリオドを打った方が良いとの結果になりました。
不妊治療を始めて、途中出来なかった時期も含めてですが、20年の歳月が流れようとしています。その間には色々な事があり、その都度、周りに助けられ二人で乗り越えて来ました。
今回、治療を再開してからも、沢山の支えがあり、今また乗り越える事が出来ます。不思議と今はもう迷いはなく、とても幸せです。結果はどうであれ、納得して次のステップに行ける事にそれぞれの幸せがあるような気がします。
そう思えるのも、先生との出会いがあったからだと、心から感謝しています。先生のにお会いして3年、随分ご迷惑をおかけしましたが、ひとつひとつ向き合って頂いて温かい対応をして頂いて、頑張ることが出来ました。改めて、信頼できる先生と出会う大切さを感じています。
院長からの返事
素敵なお花有り難うございました。昨日より診察室の机に飾らせて頂いています。
私にとっては、一昨日の診察は、素敵な卒業式でした。患者さんの体験談を連ねながら、妊娠だけが卒業ではない、との思いを強くもっていました。妊娠したら、不妊治療を終了したのではないし、ましてや偉いわけでもない。新たなスタートに立っているのです。それは、あなたのような形で卒業されても同じですよね。いろんな形の治療であっても、夫婦の絆が一番の基本ですよね。初めの体外受精でご主人にお話したとき、私の話をしっかり聞いていただけたこと、良く覚えています。そしてお互い大人同士の二人をそれぞれが支え合っていることを痛感し、なんとか力になりたいなあと思いました。そして今でもその姿勢はお変わりないようです。私がなせなかったことに関しての悔いはありますが、ただお二人がかわいそうと思ったことはありません。立派な卒業式です。そして今までうまくいかなかった方をどうやって卒業させたらいいのかわからなかったのですが、少しわかったような気がします。
こちらはあなたから多くのものを学ばせて頂きました。これからは恩返しする番ですので、体のメンテと何かわからないことあったら遊びに来て下さい。そしてこれからもクリニックのよりより方向への道しるべをおしえて下さい。
古賀先生。
いつもお忙しい中、メールのお返事を頂きありがとうございます。正直、先生が納得されないままに強引に卒業してしまったのではないかと心配していましたので、頂いたメールが私にとっての卒業証書でした。メールを拝見して、それを主人に伝えましたら、「やっぱり自分達が感じていた通りの先生だった。自分達は幸せやったね。有り難いね。」と言ってました。
私達は色んな過程を経て今があります、そして、夫婦が基盤である事の大切さを学びました。妊娠した人は勝者で、そうでない人は敗者のような、そんな中、肩身の狭い思いで治療をやめた知人夫婦には、残念ながら、離婚した夫婦、今でもその想いを引きずったまま生活してる夫婦もいます。妊娠するとかしないとかの問題以前に、どちらも、やり場のない気持ち受け止めてくれる存在がなかったからです。今でも傷になったままです。先生のクリニックのコンセプトを拝見した時、患者でありながら応援したい気持ちでいっぱいになったのは、そう言う理由があったからです。忙しい中、患者の話をじっくり聞いてくれる姿勢に、どれだけ救われることか。そんな先生のクリニックだったからこそ、私達は今なお夫婦共に幸せを感じられている事を忘れないで下さいね。
そして、コラム「鈍感力」素晴らしい内容でした。その中にあった「岩もあり木の根もあれどさらさらと、たださらさらと水の流るる」素敵な言葉ですね、とても胸に響きました。くじけそうになったら、先生のコラム思い出す事にしますね。これからも、陰ながら応援しています。次のコラムも楽しみにしていますね。
素敵な卒業証書有難うございました。

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このたび私も「卒業」の日を迎えることとなりました。治療が成功して妊娠できたら「卒業」。この日が私にも用意されていたなんて、今でも信じられない気持ちです。出産まで先生にお世話になりたい…と願うところですが、それは叶わず、嬉しい一方で、本当に寂しい気持ちでいっぱいです。
先生をはじめスタッフみなさまのおかげで、願って願ってやまなかった「子を授かる」という望みを叶えることができました。本当にありがとうございました。
望んでいるのに赤ちゃんが来てくれないな—そう気づいてからこれまでの間は、今振り返ると本当に辛かったです。つねに大きなテストを受けているような緊張、そして「不合格」を目の当たりにした時の絶望。その繰り返しでした。ここまでがんばったら「合格」できる、そんな保証があるわけではないので、出口の見えないトンネルをひたすら歩いているようでした。
そんな中、クリニックでのさりげないお心遣いがどんなに救いとなったことでしょう。
仕事を終えて電車とバスを乗り継いでやっと辿り着くと、まず迎えてくれるのが生き生きとしたお花と受付の方のやさしい笑顔です。院内にかすかに漂うアロマの香りですぐに肩の力が抜けていきました。
心地よい音楽が流れる待合室でイスに腰掛けるとさまざまな雑誌が置かれています。ぱらぱらとページをめくりながら、そういえば最近おしゃれになど気に掛けることなんてなかったな、と心に余裕のないまま過ごしていたことに気が付きました。他にも美味しいお店の本や時間の使い方の本などまであり、待ち時間があっという間(もっと長くてもいいかなと思うくらい)でした。
治療を始めると一日中そのことで頭がいっぱいだったのですが、これらの本のおかげで「今度このお店に行ってみようかな」「もっと朝と夜をのんびり過ごしてみようかな」と思う余裕が出てきました。
そして何度か過ごさせていただいた安静室は本当に素敵で、「あれ?いま旅行に来てたのだったかな」と思ってしまうくらい、心穏やかに過ごすことができました。
それらのことがすべてさりげなく配慮されていて、そのひとつひとつが私の不安や焦りや苛立ちでごちゃごちゃになった心を解きほぐしてくれました。
どの病気にももちろん言えることですが、とくに不妊治療は体だけではなく心のケアが必要なものだと思います。別のクリニックで体験したように、心を置いてけぼりにされた(ように感じてしまった)まま治療が進み、授かっていたら、今のように素直に喜べただろうかと思います。「本来なら自然に授かる べきものなのに、人の手を入れて、よかったのだろうか」とも、ひょっとしたら思ったのではないかと思います。しかしこのクリニックでは先生やスタッフの方々が常に寄り添ってくださって分かりやすく説明してくださり、一緒に喜んだり残念がってくださって、信頼関係があったからこそ、「私が母親になるまでにはこれらの道のりが必要だったんだ」と自信を持って思えるのです。
治療を受けていると知人に打ち明けた時、こんな言葉をもらいました。「それじゃあその子は本当に幸せだね。生れるもっともっと前から望まれて、祝福されているんだから。」と。
一般には妊娠判定のあのライン(このラインをどれだけ見たかったことでしょう!)を見て、体のことを意識し始めるものかもしれませんが、私の場合そのずっと前から、まだまだ卵の段階からずっと体に耳を澄ませ、授かるまでの過程ひとつひとつに立ち会えたことになるので、ちょっと得をしたような気もします。
このように思えるようになったのも古賀先生をはじめ看護師さん、エンブリオロジストの方から受付の方々に至るまで、古賀文敏ウイメンズクリニックのみなさまのお力があったからだと思います。本当にありがとうございました。
いったんはクリニックを「卒業」ですが、妊娠中や出産後(そしてひょっとしたら2人目でも…)も相談に乗っていただけるとのこと。これからもお世話になりたいと思います。
さまざまなご苦労があるかと思いますが、ほんとうにほんとうに素晴らしいお仕事だと思います。これからもますますのご活躍を心からお祈り申し上げます。

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先生、それからスタッフの皆様、お久しぶりです。去年の10月から通っていたY.Yです。
こういう書き込みがあることに、最近気づきました。そこで、思わずメールしています。
お腹の赤ちゃんも順調で、早くも6ヶ月目です。性別も分かり(男の子!(^^)!)、今は名前決めで主人と悩み中"^_^" 胎動も感じられ、元気いっぱいのようです。体調も良く、毎日歩いたり、ビクスに行ったりして楽しい妊婦生活を送っています。
私は、1年間、別の病院に通っていましたが、なかなか赤ちゃんを授かることができませんでした。
生理がくるたびに、先生も一緒に「だめだったかぁ・・・」とがっかりはしてくれましたが、古賀先生の所に来てから最初に言われたことが「本当に妊娠できるのかな?と不安になるより、絶対できると思って治療していた方がいいですよ。Yさんも、必ず妊娠できます」と言ってくださった言葉が忘れられません。
その時に、なんだか自分でも妊娠できるような確信がしました。
古賀先生の病院は、不妊治療だけでなく、メンタル面での支えもとても大きかったように思います。
先生も優しくて、看護師の方、それから事務の方、全ての方がとてもあたたかかったです。
こんなにそろった病院と、初めて出会ったように思います。
できれば、出産まで古賀先生に診ていただきたかったです。
赤ちゃんが無事に生まれるまでは、不安なこともありますが、赤ちゃんを信じて一緒に頑張っていきたいと思います。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

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本日、先生のところを「卒業」ということで、お礼の言葉をお伝えしたく、筆をとらせていただきます。
「卒業」・・・この言葉をホームページの「患者様の声」で目にする度、いつかは・・・と憧れる反面、きっとその時がきたら、本当に淋しいだろう・・・と思っていました。
そして今、やはりちょっぴり淋しいですね。きっと他の患者さんも同じように、まるで学校を卒業し、温かく守られていた場所から巣立つような気持ちでその日を迎えられているのでは?と想像します。それだけこの病院で、温かく優しいたくさんの「想い」をいつも分けていただいていたのだと、心より感謝しております。
大学で最後に診察していただいた時(残念な結果を伝えていただいた時)、先生は「Mさんは絶対妊娠します。」と言ってくださいました。今となっては経験に裏づけされた言葉だったのだと理解することができますが、初めての挫折を味わった私にとって、あの言葉は衝撃でした。
独身の頃、動物病院で看護師の仕事をしていたこともあって、通常ならば100パーセントの自信があっても、「絶対とは言えませんが・・・」と、逃げ道をつくるのが病院であり医師であろうと思います。なのに先生の口からは、「絶対」という言葉をいただきました。それが正しいとか正しくないとかいうことはどうでもよく、あの時の私には、「この先、自分の妊娠が絶対のものにならなかっとしても、今後も古賀先生に治療をお願いしたい。」と思えたのです。結果に涙してしまった私への、精一杯の思いやりの気持ちをいただいたと思っています。
家族の賛成ももらえて、新しい病院に通うようになってからは、ひとつひとつの細かなところにまで、先生の思い描く理想が現実化されていて、スタッフの皆さんが同じところへ向かって進んでおられるのが分かり、「この病院に通えて本当に良かった。」と、いつも実感していました。ただ、先生がお一人ということと、強い信念を持っておられるだけに、いろいろな場面で無理をされるのでは?と、勝手に心配などしております。周りのスタッフの皆さんと、それぞれの場面で負担を分け合って、これからも何千、何万という、悩みや苦しみのなかにいる方達の光になってくださいませ。
こんなにも早く、命を授かることができたこと、心より感謝致します。
まだまだこれから、心配すればきりがない毎日が続きますが、心身の健康に気をくばり、元気な赤ちゃんを産めるよう、努力してまいります。私の子宮が産後も元気で、もう一人望める時には、また「古賀文敏ウイメンズクリニック」でお世話になりたいと思っております。その際は、どうぞ宜しくお願い致します。 先生・スタッフの皆様 本当にありがとうございました。
お茶は少しですが休憩時間にでも皆さんで召し上がってくださいませ。

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もうそろそろ、クリニックを卒業の時期が近づいているようなので、感謝の気持ちを伝えたくて、お手紙を書きます。こちらのクリニックに出会えなかったら、私は今お腹で育っている赤ちゃんを授かることをあきらめていたかもしれません。
流産というものは、辛く、とても悲しいことです。それを何度も経験し、私は暗い暗い、先の見えないトンネルの中にいました。毎日が辛くて、よく泣いていました。流産が怖いから、もう次の子供はあきらめようか、と 何度も思いました。でも、どうしても上の子供に兄弟を作ってあげたい。できれば家族が増えてほしい。子供が大好きな夫の子供を産んであげたい。。。何より、自分がもう一人子供が欲しい。。。という気持ちが強くて、毎日が堂々巡りでした。
そんな時に、先生のクリニックを知り、思いきって受診しました。先生は、私の辛い気持ちを何度も何度も根気よく聞いてくださいました。ほんの些細な心配事でも、嫌な顔一つせず、いつも優しく応えてくださいました。ナースの方々や、受付の方々もいつも優しく、温かく接してくださいました。そのおかげで、私は、流産は怖い。でも、この先生のクリニックがあるかぎり、私は何度でも頑張れる。立ち直れる。と、思いました。家に居ると、不安が強くなり、お忙しい時に何度も電話をかけてしまったりして、すみませんでした。でも、スタッフの方の優しい対応、先生の言葉に、毎回救われて、今まで、やってこれました。こちらのクリニックに出会えて、本当に本当によかったです。
今、私のお腹で小さな命が育っています。まだ不安定な時期なので、出産する病院へ紹介していただいた後も、こちらのクリニックにちょこちょこ来てしまうと思います。。。先生やスタッフの方々に会えるだけで、安心するし、元気になれるから。。。どうか、お邪魔させて下さい。うまく文章にできなくて、ごめんなさい。 本当に感謝の気持ちで一杯です。ありがとうございました。そして、これからも、よろしくお願いします。
P.S.クッキーを作りました。よかったら食べてください。

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お世話になっているセンセイのクリニックが5月29日の今日、開院しました。
ワタシが不妊治療を始めたのは20代・・・
2回の子宮外妊娠、両卵管をなくし、心のケアもしないまま、その後は高度な不妊治療に入り、心身共に疲れはててました。もちろん、それを見ている主人はもっと辛かっただろうと思います。
ある理由で治療が出来ない時期があって、10年が経とうとしていた頃、「良いセンセイがいらっしゃるそうよ。」と、ある人が言った言葉は、治療再開の時期が来てもその一歩が踏み出せずにいたワタシの肩を「ポン!」と押してくれたようでした。
そうやって出会えたのが、大学病院におられた古賀センセイ。何だか本当に不思議なくらい、不安も不満も不信感もなく通っていました。信頼できるセンセイにやっと出会えた・・・そのおかげで、今も治療を続けられる。センセイと話してると、不思議と気持ちが楽になってくるんです。
再開した年齢を考えると、センセイに申し訳ないけど、もう少しだけ頑張ってみたいと思っています。本当の事を言うと、センセイだったら、いつか・・・と期待してます。その反面、年齢の壁が大きい事実もわかってる訳で・・・。でも私達夫婦が思う事は、古賀センセイの患者に対する真っ直ぐな姿勢、そして思いやりは本物。
センセイと出会ってなかったら、きっと今頃は、治療を続けていなかったと思います。
不妊治療で大切なのは、技術もですが、やはりセンセイとの信頼関係は大きく結果に関わってくると思います。そして、温かさ・・・。内覧会でお邪魔した時、中に入った途端、ワタシの中で何が起こっているんだろう・・・って思うくらい、温かさが伝わってきたんです。表現できない感覚を感じていました。そのせいでしょうか、センセイと今後の治療の事をお話していたら、突然こみ上げるものを感じて・・・。
治療が終わるまでは、何があっても絶対泣かない!って決めてたのに。
治療のことを公開するにあたって、生徒さんや周りの皆さんに気を遣わせるかもしれないと思い、ちょっと考えました。でも、信頼できるセンセイと出会う事が出来ず、傷つき治療を再開できずにいる人がいる。ちょっと前までワタシも同じだったからわかる、その一歩がなかなか踏み出せないんだよね。色んな病院の評価がネット上で飛び交ってるのを目にしてるうちに、何だか何かが違うのでは・・・と思うようになりました。
そんな時、偶然治療を終えた方の手記を読んで、長い不妊治療の末結果は残念だったけど、「ものすごい達成感と開放感でいっぱい!」という表現があり、それには、担当のセンセイとの信頼関係、全力を尽くしてもらえた満足感があったようです。
ワタシは、結果も大事だけど、その過程はもっと大事だと思っています。
その先に、妊娠し不妊治療から卒業して、今度は子育てのスタートラインに立てる・・・という結果が出れば嬉しいこと。誰がどう関わってくれるか、向き合ってくれるか、大切と思える人、思ってくれる人のバランス。それは、大切な事ですよね。
ワタシはみんながいて、そして、旦那サマが支えてくれ、助けてくださるセンセイに出会えて、治療を頑張れる事に今、とても感謝しています。治療を再開できて良かったと思っています。
そして、「古賀文敏ウイメンズクリニック」に出会う事ができて良かった!あと、センセイの開院が1年でも遅かったら、出会えなかったかもです

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私は肝臓が悪く、計画妊娠をしなくてはいけないので、結婚して2年半避妊をして、そろそろ子供がほしいと思い、近くの産婦人科に通い始めました。検査をすると、不妊症で原因が解りませんでした。すぐに仕事を辞めて、肝臓でかかりつけの、久留米大学病院に行き、原因が解り、卵管水腫ですぐに手術をしました。それから不妊治療を続け、1年半後、卵管造影の検査を行ったところ、左の卵管が癒着している事が解りました。しかし右の卵管は正常だったので、右に排卵があった際に、人工授精を行いましたが、5回しても受精しなかったので、次に体外受精を先生に勧められました。すると、1回目で妊娠し、結婚して6年で1人目を出産し、その後、すぐに自然妊娠をして、1年後には2人目を出産しました。古賀先生の、親身な対応と治療で、子供を授かる事が出来てとても感謝しています。
2人の娘達は、早いもので7月で4才と3才になり、すくすくと育っています。 今では、あきらめないで不妊治療、がんばって良かったと思います。
「出産後のお手紙」

- こんにちは。○○です。
お久しぶりですがお元気でしょうか?
また、出産報告のハガキは後日郵送しようと思ってますが、なかなか長い文章は入らないのでメールにて先に報告させていただきます。
7月○日に、無事男の子を出産することが出来ました。
今回も予定日超過の為誘発分娩となりました。
弛緩性出血がひどく、胎盤を除いても2000mlの出血となり、なかなか止まらず色々な処置をした後、次に止まらなかったら他院に搬送すると言われましたが、なんとか止まり入院生活も少し長くなり今でも毎日鉄剤の注射を打ちにいく日々が続いています。
今回、二人目と言うこともあり妊娠生活は、上の子のお世話に忙しく妊娠生活をのんびり楽しんだりお腹の子と向き合う時間は、なかなかとれずあっという間に過ぎていきました。
二人目を授かり、無事に産まれてきてくれて私の理想であった、家族4人という夢を実現することが出来て先生には本当に感謝しています。
この前住民票を見た時、夫婦二人だった住民票が一人増え、今回また一人増え4人になったのを見て、他の人は何も感じないかもしれないけど私は、家族が増えたぁ~!って頑張った証の様で嬉しく本当に感動しました。
正直、二人目は、かなりの葛藤がありました。
内膜の状態がうまくいかなかった時、正直私には1人しか授れない運命じゃないか、それで十分なんじゃないかと考えたり、一人の子をお金をかけて育ててあげる方がいいんじゃないかとか、色々考え治療をやめようかな、とか、でもやめる勇気もふんぎりもなかなか持つ事も出来ず、しばらく考えないで好きな事をして、治療は休もうかなとか思ってました。
そんな時、先生からメールをいただいて正直びっくりしました。
たくさんの患者さんがいらっしゃって、毎日毎日忙しい日々の中一患者である私に新しい薬の事をメールしてきてくれて気にかけてもらったことが、とても嬉しかったです。
そこで、よしもう一回頑張ってみよう、と言う気になり治療を再開しました。
もしあのメールがなかったら、今二人目の子供には会えてなかったと思います。
古賀先生には一人目も二人目も、治療をお願いし私の人生の大部分を変えてもらったと思ってます。
先生に出会えなければ、今の子達には会えてなかったんだから。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
二人授かれただけでもありがたい上に、女の子と男の子を持つことが出来て両方の可愛さを毎日感じてます。
やっぱり姉弟よく似ていてカワイイです(*^_^*)
無事に出産出来、今回で本当に先生のところは、卒業という事なりますね。
不妊治療を頑張った日々は、人生の中で忘れることが出来ないし良い勉強や経験になりました。
先生と、会える機会は、もうなかなかないと思うし、それは寂しく感じますが、これから一生懸命二人の子供を育てていきます。
先生も毎日毎日忙しいと思いますが、くれぐれも体調には気をつけて頑張ってくださいね。
本当に本当にありがとうございました。

- 拝啓、厳しい寒さが続きますが、古賀先生、そしてスタッフの皆様におかれましては、変わりなくお過ごしでしょうか?
先生の病院を卒業して6ヶ月、昨年12月に、無事2人の女の子を出産しました。約1ヶ月半、予定日より早く生まれたので、第1子は2008g、第2子は1504gと小さな子供でしたが、呼吸器をつけることもなく、元気に生まれてきてくれました。
私たち夫婦の“宝物”という意味を込めて名付けた2人は、今もNICUでスクスクと成長しています。2月上旬には2人も退院する予定で、私もやっと母親らしい事をしてあげられると、2人が帰ってくるのを楽しみにしています。
双子ということ、そして早産とのことで、たくさんの不安はありましたが、産まれた時の2人の産声を聞くと、迷っていた思いが一気に吹っ飛びました。「感動した」よりも、とにかくホッとした気持ちで、これから頑張らなきゃと意欲がわいてきました。
可愛い我が子に出会うまで、長い長い道のりでしたが、私がこうして、ここまで頑張ってこれたのは、古賀先生やスタッフの皆様の支えがあったからだと思っています。
他院で治療していた時は、「頑張ること」が辛くて仕方がありませんでした。治療をやめようと思う時期もあり、それでも子供への望みを絶ち切れなくて、「もう一度だけ、頑張ってみよう」とたどり着いた所が、先生の病院でした。
初めて診察を受けた際、先生に「大丈夫ですよ。赤ちゃんはできますよ」と言ってもらえたことが、とても嬉しくて泣いてしまった事、今でもよく覚えています。先生をはじめ、スタッフの方々も本当に優しく接してくださり、とても良い病院に巡り会えたなと感謝しています。本当にありがとうございました。
私はこれから育児の本番を迎えます。4月になったら福岡へ戻る予定です。そのときは2人の顔を見せに、会いに行きたいと思います。宜しくお願いします。
これからも、お体に気を付けてお仕事頑張ってください。
敬具

- 先生、スタッフの皆様 お元気でしょうか?
ご無沙汰しております。以前、そちらでお世話になった○○です。
そちらでの治療中は、わがままばかりの患者で大変ご迷惑をおかけしました。
ご報告が遅くなりましたが・・・昨年の6月に元気な男の子を出産し、無事母になれました。
早くご報告したかったのですが、初めての育児に戸惑うことが多く、遅くなりました。
妊娠中の体の経過は、何事もなく過ごせましたが 本当に無事に子供を抱くことができるのだろうか、この子はちゃんと心臓を動かしているのだろうかと、毎日毎日心配と不安で押しつぶされそうになることもありましたが、治療中から先生の「大丈夫」そのやさしいお言葉が、いつも私の支えでがんばれました。
そして、やっと出会えたわが子は、もうすぐ1歳の誕生日を迎えようとしています。
今は伝え歩きやハイハイをして、目が離せないぐらいとても元気に育っています。
先生・スタッフのみなさんのおかげで、子供がいる笑顔の絶えない幸せな毎日を過ごせています。
本当にありがとうございました。
一度、先生やスタッフの皆さんに会いに病院へ伺いたいと思います。
あと、まだ先のことになるかと思うのですが、二人目を考えた際、治療のことなどどうしたらよいのかなどまた相談させてください。
つたない文章で大変失礼しました。

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こんにちは。今年の4月までお世話になっていた・・・です。ご無沙汰していますが、皆さんお変わりないでしょうか?
さて、今日は嬉しい報告があってお便りしています。
女の子を出産しました!!前駆陣痛が1週間近く続き、入院してからも生まれてくるまで丸1日近くかかり、長丁場の出産でしたが、私も赤ちゃんも元気に新しい生活を送っています。名前は…とつけました。一生懸命におっぱいを飲む姿や私の腕の中ですやすやと眠る姿を見ていると、愛しくてたまらず、母親になった喜びがあらためてわいてきます。
ちょうど1年前は夫が入院をし、とてもつらい時期でしたが、まさか1年後に赤ちゃんに恵まれるなんて本当に信じられません。
治療を開始して間もない頃、先生は「絶対に赤ちゃんはできるよ。大丈夫」と言ってくださいました。そのことばにどれだけ勇気づけられたことでしょう。そのときに限らず、いつも私が安心できるようなことばをかけていただいたので、治療のストレスや赤ちゃんができないことへの焦りがずいぶん軽減されました。自然妊娠できたのも先生の温かいことばがあったからだと思っています。看護師さんや受付の皆さんにも親切にしていただき感謝しています。
夫も今では仕事に復帰し、ミルクをあげたりお風呂に入れたりと子育てにも協力的です。私も再来年の4月には仕事に戻るつもりなので、これからも夫婦2人で支え合って子育てできたらいいなと思っています。
今は…のことだけでいっぱいいっぱいですが、2人目を希望してもなかなかできないときにはまたお世話になるかもしれません(笑)。そのときはどうぞよろしくお願いします。
これから寒くなりますので、皆さんもお体にはくれぐれもお気をつけください。たくさんの方が先生のお力で赤ちゃんを授かることができるよう願っています。

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お元気でお過ごしでしょうか。
ご報告が遅くなりましたが、無事出産しました。この我が子を授かり無事出産にたどり着くことができたのは、信頼できる古賀先生に出会え、治療していただいたおかげです。
他の病院で治療しては妊娠・流産を繰り返していた私たち夫婦は「子供はあきらめたくない。でも・・・これ以上頑張っても無理なのでは・・・。」 というあきらめの気持ちがありました。でも古賀先生に今までの経過をお話し、古賀先生が「大丈夫。・・・さんは絶対に赤ちゃんを授かれる。自分に治療をさせてほしい。」と言っていただき、「この先生なら・・・この先生に治療をしてほしい・・・。」と強く思ったことを今でも忘れません。治療を始めてからも古賀先生の治療に対する姿勢や優しい雰囲気、高い医療技術、そして奥様・スタッフの皆様のクリニック全体のあたたかい雰囲気全てが、今までの不妊治療に対するイメージを変えてくれました。
今回妊娠をしてからも切迫早産で入院をしたり、いろいろと不安なこともありましたが、不安な時は「信頼できる先生に治療してもらったから大丈夫!!」と自分自身にいいきかせていました。今はこの天使!?の育児に追われ悪戦苦闘の日々で、先生が治療中に「不妊治療は妊娠がゴールじゃない」と言われていたのを思い出します。でもこの子に出会えるまでの日々を思い出したら「これは幸せな辛さだね・・・。」と主人と話しています。
もう少し落ち着いたら、娘を連れてクリニックにお伺いさせていただきたいと思います。ぜひ娘を抱いてあげて下さい。
それでは、お忙しいと思いますが、お身体に気をつけられ、頑張って下さい。

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ご無沙汰しております。お元気でいらっしゃいますか?
元気な女の子を無事出産致しました。予定日より1週間遅れましたが、妊娠期間中から大きなトラブルもなく出産まで至って順調でした。現在は自宅に戻り愛娘と主人の3人、今までにない幸せの中、心穏やかな日々を過ごしております。
結婚10年目にして初めて赤ちゃんをこの手に抱くことが出来ました。これも全て古賀先生のお陰です。古賀先生との出会いがなければ、きっと今頃は子供を授かる事は諦めて違った人生を歩んでいたことでしょう。
親身になって治療に取り組んで下さった先生、スタッフの皆様へは感謝の気持ちで一杯です。今度は是非育児支援、助産師外来の方でお世話になりたいと思います。本当にありがとうございました。

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先生お元気ですか?ご無沙汰しております。
男の子を無事に出産致しました。念願の赤ちゃんですが、悪戦苦闘しております。子供を授かる事が出来たのは、先生のおかげです。本当に有難うございました。
治療中も色々な苦労、苦しい思いをして何度も諦めようと思いました。きっと先生でなかったら、挫折していたと思います。先生を信じて通院して、本当に良かったと思います。赤ちゃんが出来てとても嬉しく幸せですが、先生にお会いできない事がとても寂しく、複雑な気持ちで一杯です。私は不妊という事でとても悩み、辛い思いもしましたが、でも不妊ではなかったら先生に出会えていなかったし、不妊だったからこそ先生に出会えた事、本当に感謝しております。
又、二人目を希望しておりますので、その時は宜しくお願い致します。先生もお忙しいと思いますが、お体には充分気をつけて頑張ってください。

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ご無沙汰しております。皆様、お変わり無く、お過ごしでしょうか。
通院中は、心身共に、本当にお世話になり、ありがとうございました。
先生方に出会い、ケアしていただいたからこそ、今の私があると思っています。
私は9/15に、3100gの元気な女の子を無事に出産しました。
今回は分娩所要時間、5時間と安産でしたが、陣痛はやっぱり辛くて・・・(涙)
すごく苦しかったけど、陣痛の間、古賀先生やスタッフの方々の事を思い出しながら、「この子はやっとの思いで授かった子なんだ。頑張ろう。」と自分を励ましていました。
そして、分娩台の上でも、主人と「やっと会えるねえ。うれしいね。痛いけど頑張るけん。」と言いながら頑張りました。
生まれて、産声を聞いて、元気に生まれてくれたことに胸がいっぱいになり、涙が止まりませんでした。
今、私は久々の赤ちゃんのお世話に毎日悪戦苦闘中です。頻回のおっぱいで睡眠不足、おっぱいが痛いとか色々ありますが、全てが嬉しく思えます。
上の子も妹の誕生を喜んでいて、泣いたらあやしてみたり、優しいお兄ちゃんになりました。
兄妹の写真を同封しますね。このような二人の姿を見て、色々辛い事があったけど、
あきらめずに頑張ってよかった・・・と心から思います。
流産してしまった子供達もきっと天国で私達を見守ってくれていると思っています。
その子達の分までこの兄妹を一生懸命大切に育てていきたいと思います。
私は、今、新しく家族が増えた喜びを日々かみしめています。
これも全て、古賀先生、スタッフの方々のおかげです。
本当にありがとうございました。
まずはご報告を、と思い、お手紙を送らせて頂きます。
又、落ち着いたら、子連れで先生に会いに行きます!!
これからも、お身体に気をつけて、たくさんの人達を救ってあげてくださいね。
それでは、また、、、

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こんにちは、ご無沙汰しております。先生、お元気ですか?
私は今、妊娠36週4日目で、お腹の中の赤ちゃんは、2,466gになりました。
今日の健診で、「少し赤ちゃんが、さがってきてるよ。いい事だよ。」って言われて、いよいよ出産が近づいてきてる事を実感しました。
今まで、特にトラブルもなく過ごせています。初めて、マタニティーの服を買った時、胎動を感じた時、赤ちゃん用品を買った時、いつもいつも古賀先生に感謝の気持ちでいっぱいで、何とお礼を伝えればよいか、この気持ちを文章にするのは難しいです・・・。
古賀先生に出会えてなければ、体外受精に踏みきる勇気もなかっただろうし、当然、今の妊娠もなかったと思います。
今は、出産に対しての恐怖でいっぱいですが、古賀先生に出会えた事、今までお腹の中で大きくなってくれた赤ちゃんに感謝して、乗り越えたいと思っています。
あと少しで会える赤ちゃんは、女の子です。
私のおじいちゃんと、おばあちゃんにとって、7番目のひ孫で初めての女の子で、みんな、とてもとても楽しみにしてくれています。
名前は、きらりちゃんと決めています。それは、古賀先生が胚移植の時に「この小さく光ってるのが赤ちゃんになるよ」って言って、モニターを見せてくれた時に、私には暗い画面にポツリと小さく輝いて見えたので、もしも、いつか赤ちゃんができたら、男の子だったら千輝(かずき)女の子だったら輝(きらり)にしたいって、安静室で横になってる時に決めました。
女の子とわかった日から、ずっと“きらりちゃん”と話しかけていたので、主人も了解してくれました。漢字を主人に任せたので、まだ決っていないのですが・・・。
あとは、無事に、きらりちゃんが生まれてくれるのを願うばかりです。
赤ちゃんができるまで、そして妊娠した後も私達夫婦を優しく支えてくれた古賀先生、奥様、スタッフの皆様に本当に感謝しています。
約1ヶ月後、古賀先生に無事出産を終えた報告ができる事を信じて、この1ヶ月、頑張りたいと思います。
毎日お忙しいと思いますが、お体に気をつけて頑張ってください。
また、逢える日を楽しみにしています。

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妊娠から現在に至るまで、毎日いろんな気づきや発見があり、更に世界が広がっていくのを感じます。赤ちゃんの体重はまだ2200前後ですが、健康です。
妊娠中はむくみと陣痛に悩まされましたが、それ以外はとても順調で、無事にとても元気な女の子を授かることができました。
未だにこれは本当の現実か?と思うくらい子供を持つことを夢見つつ、でも半分あきらめにも似た気持ちを持っていました。欲は色々でてきますが、まずは一生懸命子育てを楽しみたいと思います。本当にありがとうございました。
ご無沙汰しております。その節は大変お世話になり、ありがとうございました。
我が子は本当に本当に可愛いですが、育児は想像以上に大変でした。でも、初めてエコーで確認できた時のことを忘れずに、頑張っていきたいです。
古賀先生のところを卒業して不安に思う日もありましたが、胎動を感じたりしていくうえで、徐々に母親になる実感もわいてき、幸せと不安の両方でした。
お産を経ては、本当に産まれてきてくれてありがとうと幸せな気持ちでいっぱいです。本当にお世話になりました。ありがとうございました。
古賀先生が「大丈夫」と言ってくれたおかげで、産休まで働くこともでき、楽しい妊娠生活でした。出産も超痛かったけれど超幸せです。子供の名前は○○です。かわいいデス!出産後、先生の顔が目に浮かびました。本当に本当にありがとうございました。
お腹を蹴ったり、グニグニ動くのがとても楽しくて、もう少し長く妊婦でいたかったです。出産は想像を絶する痛みで、殺されるかと思いました。あれで安産とは驚きです。感動や達成感はなく、ただ解放感のみでした。その後もお腹痛いし・・・。でも、我が子は日に日にかわいさが増していきます。先生とスタッフの皆様に感謝しています。
つわりがとてもひどくて辛かったですが、とても幸せな気持ちで妊娠生活を送ることができました。胎動を感じはじめてからは、毎日ワクワクしていました。出産は和痛分娩の予定でしたが、お産の進行が早く、麻酔が効き始める前に産まれてきました。陣痛がとても痛かったです!!母子ともに健康であることに感謝です。娘を連れて、先生にお会い出来るのを楽しみにしています。
幸せでした。涙が止まりませんでした。また2人目の時も、古賀先生、よろしくお願いします。本当にありがとうございました。
古賀文敏ウイメンズクリニックでは、経験談を随時募集しています。
こちらまでご連絡ください。

